コミティア―マンガの未来のために今できること 第5回 編集者座談会 飯田孝(楽園)×岩間秀和(元ITAN)×豊田夢太郎(元月刊IKKI)

ヘッダーイラスト / 旧都なぎ(ALGL)

新型コロナウイルスの影響により、存続の危機にある自主制作同人誌展示即売会・コミティアでは、現在イベント継続のためのクラウドファンディングを展開している。コミックナタリーでは、そんなコミティアが置かれている現状と抱えている問題、そしてコミティア存続のために何ができるのかをユーザーに伝える本企画を実施。最終回となる第5回にはコミティアと縁のある編集者による座談会を行った。

楽園 Le Paradis[ル パラディ] (白泉社)の創刊編集長・飯田孝氏、元ITANの編集長で現在はモーニング(ともに講談社)編集部の岩間秀和氏、元月刊IKKI(小学館)の編集部員で現在は株式会社ミキサー所属の豊田夢太郎氏に、出版社・編集者の立場から考えるコミティア、そして商業出版におけるコミティアの役割について語り合ってもらった。

取材・文 / 増田桃子

出張編集部には編集者も鍛えられた

──まずは皆さんのコミティア歴と、コミティアとの関わりについて教えてください。

飯田孝 私が編集として意識してコミティアへ行くようになったのは20年ぐらい前です。仕事と被って1回だけ行けなかったとき以外は、毎回欠かさず参加してます。楽園より大分以前、ヤングアニマル(白泉社)にいた頃は、ヤングアニマルには月例賞があって、月に30本ぐらいは応募が来ていたんです。その頃は向こうから送ってきてくれる人を一番大切にしたいという気持ちがあったので、まだコミティアには行ってなかったんですが、ヤングアニマルを離れて、書籍や文庫の部署に異動したとき「そうだ、コミティアに行こう」と思って。

──それは新人さんを発掘したいという気持ちで?

飯田 そうですね。やはり新しい人のマンガが読みたかった。二次創作も大事なのでコミケには行っていたんですが、一次創作が見たいなと。

豊田夢太郎 僕は2003年にコミティアが出張編集部を始めたときが最初でした。以前担当していた小田扉さんが参加されていたのでコミティアの名前は知ってましたが、僕自身はあまり即売会自体に縁がなく。IKKIという雑誌は、新しい取り組みには積極的に関わっていこうという姿勢の媒体でしたし、コミティアにはIKKI向きの作家さんがいっぱいいらっしゃるんじゃないかという期待もあったので、参加しました。

岩間秀和 そうすると私が一番浅いですね。私は、たぶん2009年に一般参加したのが最初だと思います。当時在籍していたBE・LOVE(講談社)編集部で、ITANという新しい雑誌を作ろうというタイミングで、編集部として初めて出張編集部に参加させてもらった年でした。私は個人的事情で初回には参加していないんですが、翌年の2010年から出張編集部にも参加するようになって、以来コミティアはほぼ皆勤だと思います。

──出張編集部というのは、どんな方が持ち込みにくるんでしょうか。普段、編集部に来る持ち込みや投稿作と違いがありますか?

岩間 だいぶ違いましたね。ITANはBE・LOVE編集部が刊行していた定期刊行物でしたが、BE・LOVEという雑誌は、私が配属された27年前からしばらくは、新人賞への応募は毎回10作品から20作品程度で。大人向けの女性マンガ誌への投稿は、あまり多くなかったですね。だから出張編集部では、普段は絶対見られない作品をたくさん見ることができました。モーニングやマガジンに載っていてもおかしくないような、女性誌という枠を超えた作品を見ることができたのは、とても勉強になりました。まるでボクシングのスパーリングのように、いろんな階級の人とパンチを打ち合ってるようで、こちらも鍛えられましたね。

豊田 わかります。いつも50人以上は来てました。通常はブースに椅子を2つか3つ並べて対応するんですけど、それでは足りなくて4つ目を出して編集者4人体制で開始から終了まで、1人あたり10人から15人は見ました。岩間さんがおっしゃったように本当に鍛えられるというか、その場で拝読して何かしら言わなきゃいけないですから。出張編集部は決して編集者を鍛えるための場所ではないですが、結果としてすごく勉強になることが多かったです。

飯田 以前は参加してるサークルの人が、スペースを抜けて持ち込みに行くほうが圧倒的に多かったですけど、今は持ち込むためだけにコミティアに来る人もいますから。

岩間 いろんな編集部かけ持ちで周ってる人も多いですよね。

豊田 最近は特にそういう人が増えた印象です。1日でいろんな編集部を周れる便利な場所ですし。初期の頃は「この雑誌で描きたい」っていう希望が強い方が多かったのか、ハシゴする人はあまり見なかったように思います。

飯田 私は出張編集部には一度も参加してないんですよ。コミティアの事務局からお誘いいただいたこともあるんですが、出張編集部をやるとその人たちのお相手だけで精一杯になっちゃうでしょう。私は自分でスペースを周るのが好きなので(笑)。ただ、出張編集部の終わりがけに、エントリーシートをチェックします。あのシートの減り具合を見てると、今人気のある編集部がどこなのかわかる。ここ数年はガンガン編集部が人気で、80から90人ぐらい。それだけ間口が広いと思われているってことですからね。ちゃんと見てるんですよね、持ち込みにくる人は。

岩間 確かに。私が編集長の時代には、BE・LOVEとITANを使い分けて出張編集部に参加していたんですけど、BE・LOVEの名前だと、ITANほど持ち込みには来ていただけなくて。話を聞くと「キャリアのあるマンガ家さんが多く、作品は王道路線という印象で敷居が高いんです」と言われてしまう。当時のBE・LOVEは新人賞に力を入れて、だいぶ投稿数が増えてきていたのですが、読者さんにそういう風に見られているんだな、と雑誌の客観的な評価というか、見え方みたいなものを知る機会でもありました。

「俺は楽園で飯田さんと仕事がしたいです」と言ってくれて(飯田)

──作家さんとのやり取りで、印象に残っている出来事はありますか?

豊田 コミティアの本筋とちょっと違う特殊な例なんですけど。僕は、鎌谷悠希さんと知り合ったのがコミティアでした。鎌谷さんは一度だけサークル参加をしているんですが、それを知ったとき絶対に会いに行きたいと思って。普通に並んで、握手して差し入れを渡して、差し入れの中に手紙と名刺を入れて、「連絡欲しいです!」と(笑)。そしたら連絡をいただけたんです。あれは僕の中では熱い出来事でした。

岩間 鎌谷さんがモーニング・ツー(講談社)で描いてた頃ですね。

豊田 はい。書店さんでのサイン会で同じことをやろうと思っていたんですが、整理券が手に入らなくて。もうコミティアしかないと。

──編集さんにとっては普段会えない作家さんに会える場でもあるんですね。

豊田 あと、昔まだそんなに持ち込みの数が多くなかった頃、遠目で見てもすごく気合いを入れた様子で同人誌を持って、まっすぐIKKIのブースに来た女性の作家さんがいて。それがイシデ電さんでした。その気合いの通りの素晴らしい同人誌だったので、「IKKIでがんばりませんか?」と話して、その後実際にお仕事をしました。そのおふたりのことは印象に残ってますね。

飯田 私はお声がけした人とは、ほとんどお仕事をさせていただいてるから、1人ひとりに思い出があるんですが、印象深いのは位置原光Zさんかな。2010年に集英社からアオハルという雑誌が発行されたんですが、そのときにアオハルがコミティアをジャックするというような企画をやられて、あちこちのサークルさんにアオハルのチラシが置かれたんですよ。さすが集英社、やることが大きいなと思っていたら、まさに声をかけようと思っていた位置原さんのスペースにもチラシがありまして。

──ああ、先に声がかかってしまったんですね。

飯田 私は、作家さんにはメジャーなところでデビューしてほしいと思ってるんです。昔はマイナーなマンガがマイナーな媒体に載っていても、マイナー×マイナーがプラスに働くこともありましたが、今はマイナー×マイナーはドマイナーになってしまう(笑)。だから集英社から声がかかってよかったと思って。それでもその後、「もし、可能でしたらいかがですか?」とお声がけしたら、彼が「俺は楽園で飯田さんと仕事がしたいです」と言ってくれて。編集者としてはありがたいことですよね。

岩間 コミティアでお会いしたマンガ家さんで印象に残っている方はたくさんいます。印象的だった方を強いて挙げるとしたら、おふたりいまして、1人は有永イネさん。当時BE・LOVEで、小説家の小川洋子さんに書き下ろしの原作を書いてもらう話があったんですが、作品の構想から表現力の豊かなマンガ家さんじゃないと描けないだろうと思っていて。そんなときに出会ったのが有永さんだったんです。当時の有永さんはマンガを描き始めてから、それほど日が経っていないというくらいマンガ歴の浅い方だったんですが、とても表現力豊かで、独特の雰囲気があって。有永さんとの出会いで、私は今でもコミティアに通う動機付けができたような気がしてます。

──有永さんは同人誌を買って知ったんですか。それとも出張編集部で?

岩間 サークルを周っている中で知りました。私は出張編集部にずっと座ってはいられない性分で、若い部員に任せつつ、会場を回遊させてもらっていましたね(笑)。でも逆に、出張編集部に参加してよかったなと思った出会いが、「能面女子の花子さん」の織田涼さんです。関西コミティアだったんですが、織田さんは待機場所で背筋をピンと伸ばしてじっとこっちを見ていて。一見すると凛々しい女性だったんですが、持ち込んできたマンガは生まれたときから能面を被った女の子が、ただただ学園生活を送るっていう、「能面女子の花子さん」の原型になる4コママンガ。あまりにもご本人と作品にギャップがあって、椅子からのけぞりそうになりました(笑)。織田さんは口数が少ない方で、「新人賞出しましょう」と言ってもリアクションは控えめだったんですが、ご本人の秘めたる熱量がすごく、結果的には4コマから形を変えて受賞に至り、今もその作品を描いてらっしゃる。いい出会いだったなと思っています。

──皆さんそれぞれ出会い方があって面白いですね。今回「コミティアで買った同人誌でコレ!という1冊」を教えてください、とお願いしていたのですが……。

岩間 私、1冊には絞り切れなくて、2冊持ってきちゃったんですけど(笑)。1冊は、先程ご紹介した有永さんが2012年に出された「凛としてやわらかな」という同人誌です。あまりにも面白くて、いつか絶対にこの作品をITANに掲載させてもらいたいと熱望して、有永さんにお願いして、後日ITANに掲載させてもらいました。私が有永さんとご一緒した「最果てアーケード」という連載は、知る人ぞ知る作品だったかもしれませんが、「凛としてやわらかな」を読んで、有永さんにお声がけしたことは、間違っていなかったと感じました。でも、もし私が「凛としてやわらかな」をイチから担当してたら、このアイデアやプロットは改変してしまったかもしれないとも思って、編集として作家さんとの関係性について考えさせられました。もう1冊は朴玲華さんの「ただいま、ダルセーニョ」という、2年半前に開催した即日新人賞優秀賞受賞作です。

──即日新人賞は、ITANとモーニング・ツーがコミティアの会場で実施した新人賞ですよね。当日に投稿作品をすべて読み、選考して結果発表まで行うという、かなり画期的な新人賞でした。

岩間 コミティアでは東京・大阪合わせて計7回、即日新人賞をやらせてもらいましたが、「ただいま、ダルセーニョ」は私が「どうしても賞をあげたい!」と、わがままを通した作品でしたね。朴さんはこれまでのご自身の人生をしっかり作品の中に詰め込まれていて、フィクションにもかかわらず、骨身を削って描いていることがビンビンと伝わってきました。即日新人賞は3・4時間で100~150作品を一気に読むので、作品の中にテーマ、キャラクター、決めの絵、セリフなど何かひとつでもインパクトがないと印象に残らないんですが、逆にそこで印象に残る作品は絶対に売りのあるいい作品だと信じて審査をしていたんです。結局「ただいま、ダルセーニョ」は同人誌版を読み切りサイズに改稿していただき、ITANの最終号に掲載させてもらいましたが、ITANはそこで終わってしまったので、その後に活躍の場を用意できなかったのは申し訳なかったです。

飯田 私はどうしても1冊挙げるということならpanpanyaさんの「DustScript」という本ですね。彼が高知の海岸で拾ってきたものを裁断して、口絵に挟んで作った本があって。ある本はプラスチックのハギレだったり、ある本はエアコンのフィルターのハギレだったり。私が買った本には洗濯ネットのハギレが挟まってましたが、まさにコミティアの自由さを感じる、同人誌だからこそできることですよね。

豊田 僕はすみません、ちょっとパスしていいでしょうか……。すごく考えたんですけど、この質問は難しかった……。

──大丈夫です、ありがとうございます。

先着順で作家さんが奪い合いになるのがつらい(豊田)

──最近は、同人誌がすぐに単行本化されて……という機会も増えましたよね。

豊田 これはただの僕の気持ちなんですけど、先着順で作家さんが奪い合いになる状況はちょっとつらくて……。極端な話、コミティア初参加の人を全部リストアップして、そこだけ周れば「勝てる」かもしれませんが、僕自身はなかなかできないです。

飯田 早い者勝ちと言われたらそうなのかも知れないけど、作家さんとの出会いはご縁だと思っていて。私はいつもスペースを全部周るんですが、自分がたどり着いたときには本が売り切れていたり、ご本人が不在で本を見ることができないこともある。いいなと思ってメールをお送りしたら、すでに他誌で話がまとまってることも多いです。でもそれはもう仕方ないと思うんですよ。

岩間 わかります。私もサークルを周るときには、その場で名刺を渡さないようにしていて、どうしても気になって帰りがけに喫茶店に入って読むこともありますが、家に持って帰ってから読みます。1日2日後に作家さんと連絡を取ると、もう別でお誘いがあって、と言われてしまうことも多いですが、だからといってもっと早く連絡しようという気にはなれなくて。でも今、飯田さんに「ご縁」と言われて、腑に落ちました。

──他社さんに取られてしまって、悔しい思いをすることもありますか。

豊田 僕は藤本正二さんの「終電ちゃん」がそれですね。藤本さんとはそれこそ「ご縁」があって、しばらく打ち合わせをしていたんですけど、なかなかうまくいかなくて。ちょっと時間を置こうかという話になり、その後もコミティアでは必ず挨拶をしてたんですが、「終電ちゃん」を出されたときに「かわいいですね」って伝えただけで「連載しましょう!」と言わなかったのが……。見る目がないのかな僕は、と(笑)。

岩間 私も豊田さんの話と似てるんですが、トウテムポールさんですね。ITANの出張編集部に同人誌版の「東京心中」を持ち込んでくださって、キャラクターがとても魅力的だなあと思ったので、そこで「東京心中」の掲載を決められたらよかったんですが、当時は掲載の決定権もなかったので、「うち向けに1本描きませんか」ってあーだこーだやっていたら……(笑)。でもまわりまわって、モーニングに異動してから読み切りを描いていただきました。

──出会ったときにはご縁がなくても、関係が続いていればまたお仕事をする機会もありますよね。

飯田 その通りだと思います。イトイ圭さんは同人誌を見ててお声がけして、描いてもらったんだけど、その後モーニングでちばてつや賞、イブニングで青年月例賞をほぼ同時に取られて。メジャーなところで描けるのが一番いいからと言って、もし時間があったら何年でも待つから楽園で描いてくださいねと話して。その後、紆余曲折あって「花と頬」を楽園web増刊で描いていただくことになりました。

コミティアはスカウトの場ではなくマンガを楽しむ場(岩間)

──出張編集部やコミティアで作家さんとお会いするときに、編集者として心がけていることはありますか。

豊田 コミティアに出てる作家さんに対して忘れないようにしているのは、みんながみんなデビューを目指してるわけじゃないってことです。初期の出張編集部で持ち込みを見るとき、どの方にも「何を目指してますか」ってことをお聞きしていたんですが、少なくない人が「デビューは目指してないです」とおっしゃったんですよ。じゃあなぜ持ち込みにきたんですかって聞くと、「自分の作品はもっとよくできる気がするんです」と。そのためのアドバイスが欲しいとおっしゃる。「商業」的な視点からではないけど、じゃあ例えばこんなアプローチがあるよとか、ここがいいからそこを伸ばしたらどうですかと時間をかけてお話してると、ちゃんと納得していただける。こういうことって、先ほど話した先着順ではないのではという話ともつながっているような気がするんですよね。

岩間 私が今日ここに呼ばれたのは、コミティアで即日新人賞を始めた人間だからだと思うんですけど、即日新人賞では単に作品の評価をするだけじゃなく、全作品に編集者が手書きでコメントを付けて貼りだしたんです。どうしてそれをやりたかったかというと、豊田さんもおっしゃったように、コミティアには自作を持って腕試しに来る方もいますし、それ以上に面白いマンガを探しにきている方が多いという実感はありましたので。私たちが「これは○、これは×」と言うだけで終わらせず、面白いマンガへの道しるべのような役割も果たせたらと思ったんです。モニターやニコ生を使って作品を紹介したのも、その一環でした。全作品にコメントを書くのはかなり大変な作業でしたが、それがコミティアでスペースをお借りしてイベントをやる立場としての礼儀だと。コミティアはスカウトの場ではなくマンガを楽しむ場で、好きなマンガを求める場だと思うので。

飯田 出張編集部は持ち込みと同じかというと、そうじゃないんですよね。作家さんも、純粋に作品を評価してもらいたいと思ったとき、しっかりした目を持っている編集がいるであろうところに持って行くわけで。私は出張編集部をやったことがないのでわからなかったんですが、おふたりの話を聞いてそういう面もあるんだなと感動しました。

豊田 ただ出張編集部って、今はデビュー済みの作家さんが次の仕事を探しにくる場所にもなっていて。単行本を持って、「他所でやりたいんですけど」っていう方が持ち込みの半分ぐらいはいらっしゃるかもしれません。

──商業デビューされてからも個人的に同人誌を描き続ける作家さんも多いですからね。編集さんから見て、同人作品と商業作品のそれぞれの良さはどこにあると思いますか。

飯田 編集者の傲慢だと言われるかも知れませんけど、商業作品の魅力は編集や出版社というバイアスがかかっていることだと思います。商業である以上、「バイアスがないほうがいい」と思っている編集でもある種のバイアスがかかっている。でなければ、出版社の存在意義ってどこにあるんだっていうことでしょう。私はそこに商業出版の意味があると思ってます。そのバイアスが苦手な人には、コミティアは最高の舞台じゃないかと。一方で編集と一緒に作ることに面白さや楽しさを感じてくださる方が、お仕事をしてくださっていて、商業出版からこれだけマンガが世に出ているんだと思います。

岩間 例えば「ただいま、ダルセーニョ」は女子中学生の話ですが、私がもし担当で、最初から作品の打ち合わせに参加することになっていたら、たぶん主人公を女子中学生ではなく、大人もしくは大学生にしませんか?とアドバイスしたかもしれませんね。そのほうが、数多くの読者に受け入れられるんじゃないかと思うから。でも作者の朴さんが描きたかったのは、ご自身の経験をベースにした女子中学生の胸の内で、だからこそこの作品ができたんですよ。そういう、本当に素のままの純度の高い自分を出せる場がコミティアなんだろうなと思っています。私としては、担当編集がつくと、その純度は薄まるかも知れないけど、その一方で幅広く作品を広められるはず、と信じてやっています。そのための担当編集者だと思っていますので。

豊田 編集者の役割という意味では、以前はコミティアによく参加されていたオノ・ナツメさんって出版社と担当編集者によって全然出てくる作品が違うんですよね。「ACCA」と「さらい屋五葉」と「リストランテ・パラディーゾ」って全然バラバラで、それぞれの担当編集や媒体、そこにいる読者さんに合わせて作られているし、一方で同人誌ではオノさん自身が素敵だと思っていることを、すごく純度の高い状態で描かれていると思います。そのすべてがオノさんの中にあるものなんですよね。そういうのを見ていると、作家さんがうらやましくなるというか、僕もコミティアに出てみたくなる。でも僕はなんにも描けないから出すものもなく、出られないんですけど(笑)。

コミティアには読者と描き手のコミュニケーションが自然に存在する(岩間)

──コロナの影響でコミティアが継続できないかもしれない、という話を聞いたときは率直にどう思いましたか?

飯田 なんとかしなきゃと思いましたよ。しばらくは不特定多数の方に来てもらうイベントはできないし、この先コロナがどうなるのかなんて誰もわからないですから。だから中村(公彦、コミティア実行委員会代表)さんにすぐに電話して、「できることがあったらなんでもするから考えましょう」と言いました。

豊田 自分でも意外なほど喪失感があって、今後、自分がマンガ編集じゃなくなっても、コミティアは仕事とは関係なく行きたい場所だったんだということを改めて感じました。それがなくなってしまうのは、これからの自分の人生を考えても寂しい。おそらく商業で活躍されているような作家さんの中にも、第150回のときには出ようとか、第200回のときにあれが出せれば、みたいなことを考えている方はいくらでもいるはずですし。

岩間 私はここ最近ずっと一般参加でしたが、担当のマンガ家さんだけじゃなく、昔仕事をしたマンガ家さんとも近況を交わしあえる、貴重な場だったんですよ。そういう場が失われるとなると寂しいし、何か自分にできることはないかと思ってました。あたり前のようにあると思っていたコミティアがなくなるってちょっと想像がつかなかったんですが、中村さんのメッセージを拝見して、全然当たり前じゃなく、いろんな方の支えとこれまでの歴史があって、今のコミティアがあるんだということを再認識する機会になりました。

──もしコミティアがなくなったらどうなると思いますか?

飯田 私は一言「マンガという世界の風通しは悪くなるよね」と答えます。漠然としているかも知れないけど、間違いなくマンガ全体の風通しが悪くなると思います。

岩間 イベントって直に感想を伝えあったり、参加者さん同士初対面でもマンガの話で盛り上がったりできる、立場関係なく言い合える素敵な場ですよね。商業誌でそれが担えているかというとちょっとわからない。そういう意味では、コミティアには従来あるべき、読者と描き手のコミュニケーションが自然に存在する、大切な場所だと思います。

豊田 人がたくさん集まる同人誌即売会って、一見非効率だとは思うんですよ。pixivやTwitterならたくさんの人に共有できるとか、お金を払いたいんだったらBoothやFANBOXがあるし、もっと効率的なやり方がいくらでもあると思う人も多いと思うんです。でも実は逆で、何千人という人たちがその日のために本を作って、会場の隅から隅まで並べられてる。さらにそこでしか起きない出会いや縁がある。創作との出会い方としては、アナログは非効率に感じるかも知れないですけど、実は一番いいスタイルなのではないかなと思っています。

──本日はありがとうございました。私たちとしても、コミティアの存続を切に願っています。

飯田孝(イイダタカシ)

1960年生まれ。1984年に白泉社に入社、販売部9年勤務の後、創刊間もないヤングアニマル編集部に異動。以後、書籍部、コミックス編集部を経てメロディ隔月刊に伴うリニューアルを編集長として任される。2009年にコミックス編集部に戻り楽園 Le Paradis[ル パラディ]を企画・創刊。以後10年以上同誌を1人で編集。2020年10月より、同誌編集を中心にフリー編集者。

岩間秀和(イワマヒデカズ)

1970年生まれ。1993年に講談社入社。BE・LOVE編集部に25年在籍し、2018年よりモーニング編集部に異動。最近の担当作は勝田文「風太郎不戦日記」、染谷みのる「刷ったもんだ!」、鬼頭莫宏カエデミノル「ヨリシロトランク」など。BE・LOVEおよびITAN編集長時代の2013年より、コミティア会場にて「即日新人賞」を計7度開催する。

豊田夢太郎(トヨダユメタロウ)

1973年生まれ。月刊IKKI(小学館)ほか、小学館のマンガ媒体の専属契約編集者(フリーランス)として勤務したのち、2019年より株式会社ミキサー所属。フリーランス的に各社各媒体でマンガ編集業務を行っており、現在はLINEマンガ、マンガワン、くらげバンチなどで担当を持つ。最近の担当作に、コミティアでも積極的に活動している朝陽昇の「麦酒姫 朝陽昇作品集」、三輪まことの「わるいあね」など。